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執筆者 森園祐一(F9 糞虫小僧 オケラ) 54歳生活保護無職 神奈川県座間市相武台4-16-12 コーポ信和Ⅱ103号室 拉致問題は、被害者全員が無事に帰国するまで決して風化させてはいけない (ノД`)・゜・。 めぐみ 日本の皆さん助けて!(字幕付き) 「わしは日本を信じるだからお前も日本を信じろ」 北朝鮮拉致被害者増本るみ子の父正一氏亡くなる直前の病床で「るみ子、父ちゃんもこんな姿になった。お前を待っていたがまだ帰ってこないから、もうこちらから 迎えにはいけないから、どこかで待っていて。わしも日本を信じるだからお前も日本を信じろ」 20081117北朝鮮拉致被害者市川修一の母市川トミ(91歳)死亡の報道詰め合わせ(NHK・テレ朝・TBS) ■編集者・閲覧者へ 拉致問題の早期解決と事件の風化を防ぐためにも、当ページの積極編集と情報提供をお願いします。 情報提供→外部掲示板 <目次> 執筆者 森園祐一(F9 糞虫小僧 オケラ) 54歳生活保護無職 神奈川県座間市相武台4-16-12 コーポ信和Ⅱ103号室 はじめに 概要 年表 平成14(2002)年10月15日に帰国した5人の方 政府に正式に拉致被害者と認定された日本人拉致被害者 政府から正式に拉致被害者と認定されていないが拉致された疑いがある日本人特定失踪者 【1997年2月3日】衆議院予算委員会にて初めて拉致問題が実名で取り上げられた日(西村眞悟) 参考サイト北朝鮮を擁護、日本人拉致を捏造と言い張った売国党 TV報道 はじめに 救う会:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (公式HP) あなたにもできること(救う会HP内) 是非ご協力を。できることで結構です。 署名する。ブログユーザーならリンク先に救う会を加える。募金をする(ネットからも可)。ブルーリボンを身につける。 DVD「拉致問題『何故?』に答える」(20分30秒)企画協力:特定失踪者問題調査会 / 制作:映像教育研究会カンパ付き価格:2,000円(税込)※ お求めは特定失踪者問題調査会まで(TEL 03-5684-5058 / http //chosa-kai.jp/ ) DVD舞台劇 めぐみへの誓い1977年、わずか13歳の少女横田めぐみさんが北朝鮮工作員に連れ去られました。当初は霧に包まれていたこの事実は、政府の足並みの悪さもあり、なかなか市民の関心を呼ぶものではありませんでした。しかし市民レベルでの支援運動の動きは確実に国を動かしていきました。明るみにでる多くの信じられないような独裁国家北朝鮮の実態。多くの日本人拉致被害者と家族が辿った困難の道・・・。ベテランから若手まで実力のある俳優が力一杯演じ、様々なメディアを通して紹介されたこの演劇舞台は、 希望をつなげる為に努力する人々の感動の物語です。公演期間中は多くの観客を集め、この問題に新たに接する人々も含めて、改めて重要な問題を提起しました。詳細⇒http //www.jvd.ne.jp/cine/megumi/top.html 概要 北朝鮮による日本人拉致問題(きたちょうせんによるにほんじんらちもんだい)は、1970年代から1980年代にかけて、北朝鮮の工作員などにより、多数の日本人が極秘裏に北朝鮮拉致された問題。日本では国民の生命と安全に大きな脅威をもたらすテロとされている。北朝鮮は長年事件への関与を否定してきたが、平成14年、平壌で行われた日朝首脳会談で、ようやく日本人の拉致を認め、謝罪し、再発の防止を約束した。 日本政府が認定した拉致事案は12件、拉致被害者は17人。 北朝鮮政府側はこのうち13人(男性6人、女性7人)について拉致を公式に認めており、5人が日本に帰国しているが、残り12人については「8人死亡、4人は入境せず」と説明しており(2008年3月30日現在)、その後の捜査協力を拒否している。 北朝鮮による日本人拉致問題 年表 1990年以降も、拉致の疑いのある事件が発生しています。 (北朝鮮スパイは日本にどの位いるのか:【青山繁晴】中韓朝の工作員はどれぐらいいるの? (youtube)) 1977年9月19日、宇出津(うしつ)事件。久米裕が石川県宇出津海岸で拉致される。 1977年10月21日、女性拉致容疑事案(鳥取県)。松本京子が自宅近くの編み物教室に向かった際に拉致される。 1977年11月15日、少女拉致容疑事案。横田めぐみが新潟市において下校途中に拉致される。 1978年6月頃、元飲食店店員拉致容疑事案。田中実は出国した後拉致される。 1978年6月頃、李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案。田口八重子 が拉致される。 1978年7月7日、アベック拉致容疑事案(福井県)。地村保志と濵本富貴惠が拉致される。 1978年7月31日、アベック拉致容疑事案(新潟県)。蓮池薫と奥土祐木子が拉致される。 1978年8月12日、アベック拉致容疑事案(鹿児島県)。市川修一と増元るみ子が拉致される。 1978年8月12日、母娘拉致事案(新潟県)。曽我ミヨシ、曽我ひとみの母娘が拉致される。 1980年5月頃、欧州における日本人男性拉致容疑事案。石岡亨と松木薫が欧州滞在中に拉致される。 1980年6月中旬、辛光洙(シン・グァンス)事件。原敕晁が宮崎県の青島海岸に連れ出され、 拉致される。 1983年7月頃、欧州における日本人女性拉致容疑事案。有本恵子が欧州にて失踪。 1987年11月29日、大韓航空機爆破事件。12月1日、金賢姫がバーレーン空港で現地警察に逮捕される。 1991年、「李恩恵」が行方不明となった田口八重子と同一人物であると判明する。 1997年、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)」が結成される。 2002年9月17日、小泉首相第1回訪朝、拉致問題について金正日が謝罪。 2002年10月15日、拉致被害者5名が帰国。 2002年11月5日、内閣官房拉致被害者・家族支援室の発足。 2004年5月22日、小泉首相第2回訪朝、地村・蓮池夫妻の家族5名が帰国。 2004年7月 9日、インドネシア国ジャカルタにおいて曽我ひとみ一家再会、7月18日曽我一家日本に帰国。 2006年7月5日、北朝鮮がミサイル発射、日本政府は経済制裁を含む対応策を発表。 2009年3月11日、 韓国釜山において金賢姫は田口八重子の長男飯塚耕一郎と会い、田口八重子は生きていると伝えた。 平成14(2002)年10月15日に帰国した5人の方 地村保志・地村(浜本)富貴恵夫妻 蓮池薫・蓮池(奥土)祐木子夫妻 曽我ひとみ 政府に正式に拉致被害者と認定された日本人拉致被害者 氏名 性別 拉致(失踪日) 年齢(失踪時) 失踪場所 補足 寺越昭二 男 1963.05.11 36 石川県沿岸 寺越外雄 男 1963.05.11 24 石川県沿岸 寺越武志 男 1963.05.11 13 石川県沿岸 加藤久美子 女 1970.08.08 22 福岡県北九州市 古川了子 女 1973.07.07 18 千葉県市原市 久米裕 男 1977.09.10 52 石川県能登町 松本京子 女 1977.10.21 20 鳥取県米子市 横田めぐみ 女 1977.11.15 13 新潟県新潟市 田口八重子 女 1978.06頃 22 拉致場所不明 市川修一 男 1978.08.12 23 鹿児島県吹上町 増元るみ子 女 1978.08.12 24 鹿児島県吹上町 曽我ミヨシ 女 1978.08.12 46 新潟県佐渡市南部 小住健蔵 男 1960年頃 45位 拉致場所不明 原敏晃 男 1980.06頃 43 宮崎県宮崎市 福留貴美子 女 1976.08頃 24 海外旅行中 田中実 男 1978.08.08 28 欧州 石岡亨 男 1980.06上旬 22 欧州 松本薫 男 1980.06上旬 26 欧州 有本恵子 女 1983.08頃 23 欧州 (データは救う会のもの) 参考サイト 救う会拉致被害者リストhttp //www.sukuukai.jp/index.php?itemid=1160 北朝鮮拉致被害者・失踪者リストhttp //www.bitway.ne.jp/bunshun/ronten/sample/jikensi/file09_01.html 政府から正式に拉致被害者と認定されていないが拉致された疑いがある日本人 特定失踪者 特定失踪者問題調査会の定義する「特定失踪者」とは、原則として家族・関係者等から調査依頼があった「夜逃げをするような理由が全く見あたらないのに突然姿を消した人」で「北朝鮮による拉致の疑いが完全には排除できない人」を指す。 特定失踪者問題調査会-wikipedia-より なぜ政府は特定失踪者を拉致認定しないの?(動画) 熊倉清一 福島県会津若松市の蒔絵(まきえ)師 昭和55年に行方不明となった福島県会津若松市の蒔絵(まきえ)師、熊倉清一さん=失踪当時(30)=を新たに「拉致の疑いが否定できない不明者」のリストに追加。 http //sankei.jp.msn.com/world/korea/090318/kor0903181827004-n1.htm 中村三奈子 1979年 9月生 1998年4月6日予備校へ行く予定の日であったが行かず、その日以来消息が解らない。 特定失踪者問題調査会に連絡をし、2003年7月30日、第4次の発表で「拉致の可能性を完全には排除できない失踪者」 として発表されました。 http //www2.nct9.ne.jp/murasaki-tuyukus/ 小山 修司 生年月日:1961年3月24日 生 失踪年月日:平成16(2004)年6月6日 当日早朝、いつものように一人で新潟西港を出港したが、操業中の僚船が小山さんの航行が不自然だったので無線で呼び出したが応答がなく、人影もないので現場に急行。小山さんの姿はなかった。船は自動操舵で航行、長靴が片方だけ残されていた。海上保安部や漁連などが4日間にわたって海上から、または海中に網を入れて捜索したが何も見つからなかった。当日は波ひとつない鏡のような海で、水温は19度だった。毎日水を流して甲板を洗っていたはずなのに、長靴の近くに緑色の粘土質の塗料が落ちていた。 http //www.listserver.sakura.ne.jp/cgi-bin/list/list3.cgi?word3=255 mode=search3 「北朝鮮に拉致された疑いを否定できない失踪者」 http //www.listserver.sakura.ne.jp/cgi-bin/list/list3.cgi?mode=list2 【1997年2月3日】衆議院予算委員会にて初めて拉致問題が実名で取り上げられた日(西村眞悟) http //www.nicovideo.jp/watch/sm1539073 http //www.nicovideo.jp/watch/sm7907059 参考サイト 日本国政府 拉致問題対策本部 http //www.rachi.go.jp/ 救う会 http //www.sukuukai.jp/ 特定失踪者問題調査会 http //www.chosa-kai.jp/ 北朝鮮による日本人拉致問題(wikipedia) 北朝鮮を擁護、日本人拉致を捏造と言い張った売国党 2003年11月2日放送の報道2001では司会の「かつて社民党は拉致はでっち上げということをおっしゃっていましたよね」 との質問に対し土井たか子は「そんなことを党として言った事は無いですよ、それはおかしい報道ですねそれは事実と違います」と発言 社民党土井たか子「拉致事件について事実と違うことが流布されている影響が有ったのなら選挙妨害だ」(03.11.13)Jチャンネル 上記の2つの動画では旧社会党~社民党時代に「拉致はでっちあげといっていない」「偽情報(北朝鮮擁護)の為選挙に影響が出た」などといっているが下記の党季刊誌にも証拠として残っている。 月刊社会民主7月号「食糧援助拒否する日本政府」社会科学研究所 日韓分析編集 北川広和 http //rachigiwaku.at.infoseek.co.jp/kitagawa.html また北朝鮮による日本人拉致問題にも拉致被害者の家族が旧社会党に助けを求めて、冷淡に扱った様子が記載されている。 (以下引用) 石岡・有本家は日頃から北朝鮮とパイプがあることをアピールしていた日本社会党系の政治家に助けを求めることにした。石岡の家族は札幌市の日本社会党北海道連合にも相談したが、「本部に連絡をする。国交がない国なので口外しないように」と言われた。「国交がないから」という言葉は、それ以降も外務省や様々なところで言い訳に使われることとなる。 一方有本の両親は日本社会党委員長土井たか子の事務所(兵庫県西宮市)に相談。当初土井は有本夫妻に同情する姿勢を見せて暖かく対応したため有本夫妻は安心したが、その後土井事務所からは返事はなくなり、一切連絡が途絶えてしまった。 このため有本夫妻は上京して自由民主党の政治家に助けを求めることを決め、1988年9月、東京都千代田区永田町の衆議院議員会館に自由民主党幹事長の安倍晋太郎を訪ねる。 安倍は夫妻の訴えを聞き届け、当時秘書だった次男の安倍晋三に夫妻を外務省と警察庁に案内するよう命じ、夫妻はここに至って事の次第を外務省・警察庁に伝えることができた。 以後有本夫妻は安倍父子に連絡するようになり、安倍父子はこの問題に取り組むことになるが、1989年6月、晋太郎は癌を発症し入院。幹事長も退任した。以後入退院を繰り返したが、1991年5月、晋太郎は他界した。 後継者となった晋三はに亡父の地盤を引き継ぎ、1993年、第40回衆議院議員総選挙に立候補し当選。以後国会議員としてこの問題に取り組むことになった。 拉致被害者地村保志父「土井党首なんかは、拉致はありえないと北朝鮮の口上をそのまま私たちにぶつけて、拉致ということはそんなことはありえないと」 4人の売国奴を名指し! 拉致被害者地村保志父 土井たか子辞任時の故江藤隆美議員のコメント「良い事じゃない、彼らは限りない害毒を及ぼした」 (02.09.17)ズームイン朝にて、北朝鮮拉致疑惑を否定し続けていた、旧社会党・自民党の一部 拉致事件家族 共産党・社民党土井たかこを批判 ■朝鮮総連と非公開組織 詳しくは朝鮮総連の正体をご覧ください。 ■社会民主党 詳しくは旧社会党の正体・社民党の正体をご覧ください。 ■民主党の大多数 詳しくは民主党の正体をご覧ください。 ■日本共産党 詳しくは日本共産党の正体をご覧ください。 ■自民党の一部 野中広務 中山正暉 河野洋平 color(crimson){ 加藤紘一 } 田中真紀子(現在は民主党) 亀井静香(現在は国民新党) 参考北朝鮮利権の正体 ■朝日新聞 詳しくは朝日新聞の正体をご覧ください。 ■日教組 詳しくは日教組の正体をご覧ください。 ■東京大学 和田春樹 坂本義和 ■埼玉大(現在は大阪経済法科大)の吉田康彦 参考反日大学教授 拉致なんてないと言ってた人たちリストより 他にも加担した者がいると上記のサイトには掲載されている。 加担した組織・人物などは当サイトでは売国反日認定された、許されない 国賊 ばかりである。 広義でいえば我々一般国民も、パチンコで使った金や北朝鮮の経済制裁の解除に賛成する(しようとする)政党や政治家に投票するなど間接的に拉致に加担しているともいえなくもない。 【関連】安倍晋三の真実・パチンコの正体 TV報道 北朝鮮工作船ニュース 工作船ニュース01・12・26(NHK7時) 工作船ニュースNHK(北朝鮮工作船との関連を否定) Online Videos by Veoh.com 工作船ニュースNHK Online Videos by Veoh.com 北朝鮮工作船ニュースフジFNN(軍事評論家の岡部いさくがコメンテーター)事件発生から2日後くらいの報道 Online Videos by Veoh.com 北朝鮮工作船ニュースフジニュースジャパン Online Videos by Veoh.com 北朝鮮工作船ニュースフジ目覚ましテレビTV Online Videos by Veoh.com 北朝鮮工作船ニュース特だねTV Online Videos by Veoh.com 北朝鮮工作船ニュースズームインスーパー Online Videos by Veoh.com 海上保安庁広報「海からの警鐘 工作船事件のすべて」 日テレ 080524-1800北朝鮮工作船事件、当時の海上保安庁の船長のインタビュー Online Videos by Veoh.com 北朝鮮拉致被害者帰国時のTV報道 北朝鮮拉致被害者帰国時(2002年10月15日)のライブ映像NHK01 Online Videos by Veoh.com Online Videos by Veoh.com Online Videos by Veoh.com 北朝鮮拉致被害者帰国時のニュース01(ニュースステーション) Online Videos by Veoh.com Online Videos by Veoh.com Online Videos by Veoh.com 北朝鮮拉致被害者帰国時のニュースワイドスクランブル Online Videos by Veoh.com 北朝鮮拉致被害者帰国時のニュース03(よど号メンバー元妻のインタビューニュースステーション) Online Videos by Veoh.com 北朝鮮拉致被害者帰国ニュースの森 Online Videos by Veoh.com 北朝鮮拉致被害者帰国時のニュースNHK01 Online Videos by Veoh.com 北朝鮮拉致被害者帰国時のニュースNHK02 Online Videos by Veoh.com Online Videos by Veoh.com 北朝鮮拉致被害者帰国時のニュースNHK03 Online Videos by Veoh.com 日朝首脳会談北朝鮮拉致被害者帰国時のニュース(ニュース23) Online Videos by Veoh.com Online Videos by Veoh.com Online Videos by Veoh.com 元赤軍幹部塩見孝也が拉致被害者を連れ戻すと発言するも結局駄目でした(03.09.24)ワイドスクランブル 追跡5千日北朝鮮拉致スクープ3つの新事実(03.09.15) Online Videos by Veoh.com Online Videos by Veoh.com Online Videos by Veoh.com Online Videos by Veoh.com ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 ⇒#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (人気ブログランキングへ) 当サイトは日本唯一の愛国放送・チャンネル桜を応援しています!
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橋本龍太郎 1937年(昭和12年)7月29日 - 2006年(平成18年)7月1日 第17代自民党総裁 1996年1月11日、村山富市首相の辞任に伴い、第82代内閣総理大臣に指名され、自社さ連立による第1次橋本内閣が発足した。官房長官には、橋本らと共に竹下派七奉行と呼ばれた実力者である梶山静六が選任。 1996年2月23日、アメリカのクリントン大統領との日米首脳会談で、橋本は普天間飛行場の返還を要求、4月に全面返還で日米政府が合意した。普天間の代替基地についても安全保障政策や環境政策が絡む中で米国や沖縄の基地自治体関係者と対談を行い、代替施設について名護市の受け入れ表明を取り付けて、普天間基地返還に本格的道筋をつけた。この結果、住専問題で逓減していた支持率が60%に上昇した。 自身の59歳の誕生日である1996年7月29日に現職の内閣総理大臣としては11年ぶりに靖国神社を私的参拝した。 1997年には日本の総理大臣として初めて北朝鮮拉致事件について国会答弁で触れている。 1998年7月 - 参院選の敗北を受けて首相を辞任。後任の小渕内閣で外交最高顧問に就任。 2004年7月日歯連闇献金事件が発覚した。内容としては、橋本と青木幹雄・野中広務が日歯連会長、理事(当時)と料亭で会食し、その際に1億円の小切手を受け取り、旧橋本派の公認会計士が換金を行って旧橋本派の派閥金庫にしまわれ、この献金について旧橋本派や平成研究会が収支報告書に記載しなかったというもの。 2006年7月1日 東京都新宿区の国立国際医療センターで腸管虚血を原因とする敗血症性ショックによる多臓器不全のため死去した。享年70(満68歳没) 。
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人物画像 登場作品 基本情報 性格・容姿 関連人物 人物画像 登場作品 第8巻『涼宮ハルヒの憤慨』収録の「編集長★一直線!」 基本情報 キョンの妹の親友で、通称「ミヨキチ」。 第8巻『憤慨』収録の「編集長★一直線!」において文芸部の会誌を作る際、キョンが執筆した小説の登場人物として登場。 性格・容姿 とても小学生には見えないほど大人びた、 線の細いすらっとした体型の美人で、キョン曰く「あと5年も待てば、朝比奈さんの対抗馬になっているかもしれない」人物とのこと。 関連人物 キョン キョンの妹
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論文 おそ下がり考 背景 ネウストプニー頭高型なのに2拍目から下がる語がある。 日本語は本当に高低アクセントなのか。という疑問。 日本語の音調動態 アクセントを担うモーラの次のモーラの音調動態が重要 アクセントを担うモーラの音調はあまり関係ない おそ下がりしやすい語 おそ下がりしやすい語無声子音+狭母音+無声子音+広母音 例:くさ、くせ、くそ、ふた、つた、つと おそ下がりしにくい語例:くつ、つき、ふし、すし、くひ、ふち 無声子音+狭母音+無声子音+狭母音 第1拍「低」の限界 1拍を徐々に下げていくと、最初のうちは1型に聞こえるが、あるところから2型に聞こえるようになる。 つまり、2拍目の音調動態だけで説明できるものでもない。 結論 おそ下がりは、日本語が高低アクセントであることを否定するものではない。 感想 聴覚実験が十分でないので、「核の後ろの音調動態がキューだ」とは断定できない 追実験をすると面白い マイクロプロソディーの影響でありそうな部分が散見される
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出演回 プロフィール 誕生日:1974/11/18 出身地: サイズ:B85W58H85(時期不明)/B83W58H86(時期不明) レースクイーン リンク http //www.rqueen.com/gal2/961003.htm 名前 コメント
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ここを編集 ■ザ・超女 色指定 ■トワイライトQ 時の結び目 REFLECTION 色指定 ■めぞん一刻 完結篇 色指定 ■ここはグリーン・ウッド 色彩設計 ■Spirit of Wonder チャイナさんの憂鬱 色彩設計 ■忍たま乱太郎 色彩設計(途中まで) ■Jリーグを100倍楽しく見る方法!! 色指定 ■Licca the movie リカちゃんとヤマネコ 星の旅 色指定 ■秘境探検ファム&イーリー RUIN・EXPLORER 色彩設計 ■映画 忍たま乱太郎 色彩設計 ■ヨコハマ買い出し紀行 Quiet Country Cafe 色彩設計 ■ふたつのスピカ 色彩設計 ■雲のむこう、約束の場所 色指定・検査 ■絶対少年 色彩設計 ■くじびきアンバランス 色彩設計 ■デルトラクエスト 色彩設計 ■テレパシー少女 蘭 色彩設計 ■さらい屋 五葉 色彩設計 ■ワールドトリガー 色彩設計(~48話) ■モンスターハンターストーリーズ RIDE ON 色彩設計 ■本好きの下剋上 司書になるためには手段を選んでいられません 色彩設計 ■本好きの下剋上 司書になるためには手段を選んでいられません (第二部) 色彩設計 ■本好きの下剋上 司書になるためには手段を選んでいられません (第三部) 色彩設計 ■怪異と乙女と神隠し 色彩設計 ■関連タイトル DVD トワイライトQ rakuten_design= slide ;rakuten_affiliateId= 053df7e0.7c451bd1.0c852203.190c5695 ;rakuten_items= ctsmatch ;rakuten_genreId=0;rakuten_size= 468x160 ;rakuten_target= _blank ;rakuten_theme= gray ;rakuten_border= on ;rakuten_auto_mode= on ;rakuten_genre_title= off ;rakuten_recommend= on ; 随時更新! pixivFANBOX アニメ@wiki ご支援お待ちしています! ムック本&画集新刊/個人画集新刊/新作Blu-ray単巻/新作Blu-ray DVD-BOX アニメ原画集全リスト スタッフインタビューwebリンク集 最新登録アイテム Switch ゼルダの伝説 Tears of the Kingdom Switch 世界樹の迷宮Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ HD REMASTER Switch ピクミン 4 大友克洋 Animation AKIRA Layouts Key Frames 2 小説 機動戦士ガンダム 水星の魔女 1 ONE PIECE FILM REDデラックス・リミテッド・エディション 4K ULTRA HD Blu-ray Blu-ray 劇場版 ソードアート・オンライン -プログレッシブ- 冥き夕闇のスケルツォ 完全生産限定版 Blu-ray 映画『ゆるキャン△』 Blu-ray 【コレクターズ版】 Blu-ray ウマ娘 プリティーダービー 4th EVENT SPECIAL DREAMERS!! Blu-ray 天地無用!GXP パラダイス始動編 Blu-ray第1巻 特装版 天地無用!魎皇鬼 第伍期 Blu-ray SET 「GS美神」全話いっき見ブルーレイ Blu-ray ソードアート・オンライン -フルダイブ- メーカー特典:「イベントビジュアル使用A3クリアポスター」付 ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 5th Live! 虹が咲く場所 Blu-ray Memorial BOX 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち Blu-ray BOX 特装限定版 地球へ… Blu-ray Disc BOX 完全生産限定版 神風怪盗ジャンヌ Complete Blu-ray BOX HUNTER×HUNTER ハンター試験編・ゾルディック家編Blu-ray BOX BLEACH Blu-ray Disc BOX 破面篇セレクション1+過去篇 完全生産限定版 MAZINGER THE MOVIE 1973-1976 4Kリマスター版 アニメ・ゲームのロゴデザイン シン・仮面ライダー 音楽集 テレビマガジン特別編集 仮面ライダー 完全版 EPISODE No.1~No.98 MOVIE リスアニ!Vol.50.5 ぼっち・ざ・ろっく!号デラックスエディション ヤマノススメ Next Summit アニメガイド おもいでビヨリ アニメ「魔入りました!入間くん」オフィシャルファンブック 『超時空要塞マクロス』パッケージアート集 CLAMP PREMIUM COLLECTION X 1 トーマの心臓 プレミアムエディション パズル ドラゴンズ 10th Anniversary Art Works はんざわかおり こみっくがーるず画集 ~あばばーさりー!~ あすぱら画集 すいみゃ Art Works trim polka-トリムポルカ- つぐもも裏 超!限界突破イラスト&激!すじ供養漫画集 開田裕治ウルトラマンシリーズ画集 井澤詩織1st写真集 mascotte 鬼頭明里写真集 my pace 内田真礼 1st photobook 「まあやドキ」 進藤あまね1st写真集 翠~Midori~ 声優 宮村優子 対談集 アスカライソジ 三石琴乃 ことのは 亀田祥倫アートワークス 100% 庵野秀明責任編集 仮面ライダー 資料写真集 1971-1973 金子雄司アニメーション背景美術画集 タローマン・クロニクル ラブライブ!サンシャイン!! Find Our 沼津~Aqoursのいる風景~ 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会[復刻版] 梅津泰臣 KISS AND CRY 資料集 安彦良和 マイ・バック・ページズ 『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』編 氷川竜介 日本アニメの革新 歴史の転換点となった変化の構造分析 Blu-ray THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 10th Anniversary Celebration Animation ETERNITY MEMORIES Blu-ray おいら宇宙の探鉱夫 ブルーレイ版 Blu-ray 映画 バクテン!! 完全生産限定版 アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~ Blu-ray BOX 初回生産限定版 はたらく細胞 Blu-ray Disc BOX 完全生産限定版 Blu-ray 長靴をはいた猫 3作品収録 Blu-ray わんぱく王子の大蛇退治 Blu-ray 魔道祖師 完結編 完全生産限定版 魔道祖師Q Blu-ray Disc BOX 完全生産限定盤 にじよん あにめーしょん Blu-ray BOX 【特装限定版】 Blu-ray 鋼の錬金術師 完結編 プレミアム・エディション Blu-ray付き やはりゲームでも俺の青春ラブコメはまちがっている。完 限定版【同梱物】オリジナルアニメ Blu-ray「だから、思春期は終わらずに、青春は続いていく。」
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Law Order Special Victims Unit シーズン1 1-1 女たちの制裁 Payback 2007/01/03,01/30;02/06 1-2 美人ライターの秘密 A Single Life 2007/01/30;02/06 1-3 美しさの基準 ...Or Just Look Like One 2007/02/13 1-4 売春婦連続殺人 Hysteria 2007/02/20 1-5 旅への憧れ Wanderlust 2007/02/27 1-6 女子大生の悲劇 Sophomore Jinx 2007/03/06 1-7 性犯罪者と市民権 Uncivilized 2007/03/13 1-8 狙われたベンソン Stalked 2007/03/20 1-9 勝ち組たちの快楽 Stocks Bondage 2007/03/27 1-10 悪夢に終止符を Closure 2007/04/03 1-11 汚れた血 Bad Blood 2007/04/10 1-12 ロシアの愛の詩 Russian Love Poem 2007/04/17 1-13 ふたつの顔 Disrobed 2007/04/24 1-14 それぞれの時効 Limitations 2007/05/01 1-15 疑惑の財閥令嬢 Entitled Part 1 2007/05/08 1-16 1-17 1-18 1-19 1-20 1-21 1-22 Slaves (FOX CRIME 火曜 23 00~ 字幕) シーズン2 第1話 第21話 シーズン3 第1話 第12話 小さな少年の勇気 第13話 完璧な証拠 第14話 偽装 第15話 死刑執行のカウントダウン 第16話 無防備なセックス 第17話 ゆがんだ妄想愛 第18話 第19話 第20話 第21話 第22話 第23話 シーズン4 第1話 世間と自分を欺くウソ Chameleon 第11話 墜ちた天 第20話 解き放たれた憎悪 第25話 LAW ORDER 性犯罪特捜班 シーズン5 第1話 妊婦拉致事件 Tragedy 2009年10月14日 5-1-92 第2話 幼い心の闇 Manic 2009年10月14日 第25話 Head (FOX CRIME 毎週水曜21 00~ 字幕)
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地下鉄サリン事件〔言葉で検索〕 / オウム事件 / 松本サリン事件 / 【麻原オウム裁判と安田事件】安田好弘におびえる検察 ☆ AUM7 謎と陰謀 オウムにまつわるエトセトラ ■ オウム事件の物語には続きがあるとしたら・・・・・・ 「憎しみの連鎖(2012.2.2)」より ・これからとんでもない妄想劇を繰り広げたいと思います。まずは次の記事をご覧下さい。 1月31日 AFP】国際通貨基金(International Monetary Fund、IMF)は30日、膨大な公的債務削減に役立てるため、消費税を3倍に引き上げるべきだと日本に提言した。 IMFのアヌープ・シン(Anoop Singh)アジア太平洋局長は、日本の消費税はわずか5%で世界でも最低水準だと述べ、「われわれの感覚としては、消費税を直ちにではなく徐々に引き上げ、2015年以降にたとえば15%ほどにまで上げた方が、より他の国々の税率と沿うものになる」と語った。(後略) ■ 我々よりオウムが正しかったのか?(1) 「明日に向かって(2011.7.27)」より ・これらを読むと彼等は日本人を殺害するためではなく、逆に日本民族を敵から守ろうとしていたのではないかと言う仮説さえも成立しますし、さらに危機的状況の現代こそその主張は輝きを増している。 今から約16年以上前に一連のオウム事件が起きましたが、冤罪ではないでしょうか。じゃあ、何故?地下鉄サリン事件は起きたのか。真犯人は事件を必要としており格好の獲物のオウムは落とし入れられ利用されたのではないか。当時は日米経済戦争の真っ最中、CIAは日本政府を脅迫し、結果、地下鉄サリン事件が起こり、日本政府は脅迫に屈し金融ビッグバンが実施され日本経済は破壊されてしまったとは考えられないのだろうか。 ------------------------------ ■ 我々よりオウムが正しかったのか?(2) 「明日に向かって(2011.8.5)」より ・末尾にオウム真理教1994年制作のプロパガンダビデオから作られたHP、「闇の権力を暴く! PART2」の前文(★はじめに)を掲載します。これを読むとオウムが書いたとは到底思えず、現代の啓蒙主義的あるいは進歩的なブログの主張そのものであり、その内容は現代社会の深刻な問題に帰着しており、その解決方向さえも示しているように感じました。 ■ 何者が毒ガスを提供したのか 「社会問題研究所(2011.2.27)」より 題名:「何者が毒ガスを提供したのか」 定価:1800円 オウム真理教事件の真相を暴く 小平市立図書館在庫 国立国会図書館在庫 全国書誌番号 20999335 第五章 地下鉄サリン事件 地下鉄サリン事件でオウム真理教弾圧が頂点に達した。何者かにより、三月二十日に地下鉄にサリンが撒かれた事件である。 その直前三月五日の深夜に、予告編として、京浜急行浦賀行きが横浜駅を出た直後、三両目の電車で刺激臭が発生し、十一人が横浜市内の病院に運ばれる事件が発生した。また三月十五日には、地下鉄霞ヶ関駅で三個のアタッシュケースから蒸気が噴き出す事件が起きた。いずれも犯人は捕まっていないが、黒い謀略集団による、地下鉄サリン事件を引き起こすための準備演習と見ることもできる(註1)。さらに二十八日、目黒公証役場事務長假谷清志氏拉致事件が起きている。これは明らかな教団弾圧の下準備であった。 地下鉄サリン事件が起きた後も、国松長官射殺未遂事件、村井秀夫氏刺殺事件に続き幹部信者の逮捕と教団への破防法適用の企みなどが続く。異臭事件、列車妨害事件と度重なる病原性大腸菌O―一五七による食中毒事件などの国民に不安を与える事件が頻発した。その雰囲気の一九九六年に開始されたオウム真理教裁判も、教団によるサリン製造の証拠も示されず、今なお不明な事実も多いなか、極刑判決が行われた。それらに対する控訴も行われているが、いまや完全に過去のものとして忘却の彼方に消し去られようとしている。以下には地下鉄サリン事件が起きる前からと起きた後のオウム真理教に対する国家権力を背景にした黒い勢力の策動の過程を教団幹部逮捕までを中心に辿ってみる。 .
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拉致被害者関連情報―田口八重子さん注意:可能な限り修正しますが、後でガセだったと判明する可能性のある情報も含まれてしまっていることをご了承ください。1.拉致後の足取り 斜線は北朝鮮の発表 1978.6.29 高田馬場のベビーホテルに長女(3歳)・耕一郎さん(1歳)を残して失踪 ↓ 1978.? 清津港から入国(『忘れられない女』元山海水浴場編)or南浦から入国(地村富貴恵証言) ↓ 1978~79 牡丹峰招待所で地村富貴恵さんと生活「工作員になっても脱出したい」 1979~1986 蓮池夫妻・地村夫妻・横田めぐみさんと一緒に“チュンリョン里”(忠龍里)に集められて日本語教育 大韓航空機爆破事件以降、日本人化教育は中止し翻訳などにかわったという 1980 松木薫さん、石岡亨さんと思われる男性2人が「だまされた・・・」と呟くのを目撃し、その事を地村富貴恵さんに喋る? 同じころ、大聖山の食堂で40代日本人男性とお見合い、気に入らない→原さんか?84 原さんと結婚→専業主婦 ↓ 1981.7~1983.3 金賢姫(工作員名金玉花)の日本人化教育を担当 81~84 横田めぐみさんと同居 ↓ 1983.3~腰の治療、ひとりで生活 ↓ 1984頃~86夏 自ら希望し横田めぐみさん+金淑姫と同居生活 ↓ 1985.4 酔った運転手からセクハラを受ける→運転手が思想批判を受ける 同じころ、地村富貴恵さんに「金賢姫から工作員になって脱出は不可能と言われ、諦めた」と語る ↓ 1986 日本人は全員“チュンリョン里”(忠龍里)を離れることを命じられ平壌に→移動後日本人化教育続行 ↓ 1986.7.20 地村夫妻・蓮池夫妻と別れる 1986~1991.10 ポンファ政治軍事大学で講師として活動 ↓ 1986.7.30 交通事故で死亡 ↓ 1986.10 地村富貴恵さん、運転手から「デパートで見た」 運転手八重子さんから「義挙者(ウィゴジャ=韓国人拉致被害者)と結婚している」と聞く 1987.11.29 大韓航空機爆破事件 1988 金賢姫会見「李恩恵から日本語を教わった」 ↓ 1991 安明進、複数の教官から「金賢姫の教育係は別に処罰されずにいる」と聞く =金賢姫が赦免を受け手記を出版するという時期まで確実に生きていた ↓ 1996 周辺への身分露出、アルコール中毒、頻繁な脱出の試みなど平壌市順安地区文化部所属招待所で外出禁止・隔離生活(『金賢姫からの手紙』の中で08年に西岡力氏が得た情報)2.北朝鮮側の発表a 第一次小泉訪朝 2002年9月17日 「1986年7月30日死亡」これまで報道被害や世間の目、2人の子供への影響を考えて沈黙していた家族が沈黙を破るb 日本政府調査団に対して提示した情報 2002年9月~10月1日(注)なお、李恩恵事件につき、北朝鮮側は、調査の結果、李恩恵なる日本人女性はいない旨発言。 1. 朝鮮名:コ・ヘオク 女 2.1955年8月10日生 当時23~24歳 3.本籍:埼玉県川口市 4.出生地:埼玉県 5.住所:東京都豊島区 6.日本在住時の職業:飲食店勤務 7.入国経緯:工作員が身分盗用に利用する対象者を物色中、1978年6月29日宮崎県宮崎市青島海岸で本人が共和国に3日程度なら観光がてら行きたいという意向を示したことから、特殊工作員が身分を偽装するのに利用するため連れてきた。辛光洙は関係がない。 8.入国後:1978年6月から1984年10月まで招待所で朝鮮語の習得、現実研究および現実体験をした。1984年10月19日、原敕晁さんと結婚。1986年まで家庭生活。 9.死亡経緯:夫の死亡(1986年7月19日)後、精神的衝撃を受けていたが、数日して安定して帰宅する途中、1986年7月30日、ファンヘ(黄海)北道リンサン(麟山)郡のマシク嶺峠で乗用車とトラックの衝突事故で死亡。この事故で、同人及び運転手を含む3名が乗用車で死亡、トラックの2人は重傷を負った。 10.遺骸:ファンヘ(黄海)北道リンサン(麟山)郡に墓があったが、1995年7月の豪雨でサンウォルリ(上月里)の貯水池ダムの堤防が壊れ、墓が流された。 11.遺品:なし 12.原敕晁さんと結婚するも、子供なし。原さんもリンサン(麟山)郡で病気で死亡。 13.事故での死亡者と生存者に関する書類が存在するが、今後、法的仕組みが出来た時点で証言と文書を提供することができる。 c 第三回日朝実務者協議 2004年11月・北朝鮮側からの説明 ▽入国経緯 身分盗用に利用する相手を物色していた工作員が「青島海岸まで行こう」と田口さんを誘引した上で、1978年6月29日、青島海岸から田口さんを連れてきて、海州から入境した。拉致の実行犯であるリ・チョルスは、92年夏死亡した。 ▽生活経緯 78年6月から7月までの間、地方の招待所で休息。78年7月から79年11月までの間、平壌市内の招待所で生活。79年12月から84年10月までの間、平壌市郊外および地方の招待所で日本語教育に従事、84年11月から86年7月までの間、麟山郡の招待所で家庭生活。特に、81年から84年までの間は、横田めぐみさんと一緒に生活していた。夫の原敕晁さんが平壌の病院に入院してからは、田口さんも平壌郊外の招待所に移り、原さんを見舞った。そこで他の日本人と一緒にいた可能性もあると思う。原さんと結婚後の84年11月から86年7月まで麟山の招待所で一緒に生活していた。 ▽結婚 84年10月19日に原さんと結婚。初めは、年の差が離れているためちゅうちょしていたが、何回か会ううちに結婚に同意。これは、調査委員会の人間が特殊機関内に入って、関係者から話を聞いた。 ▽死亡経緯 夫の死亡後、精神的な慰労のため元山に行って休息をとった後の帰宅途中、86年7月30日、馬息嶺で軍部隊の車と衝突して死亡。 ▽事故処理 軍が事故後被害者を引き上げ、元山周辺の郡病院へと搬送した。軍から連絡を受けた当該機関は、元山基地に指示を出し、ひつぎを移送する準備をさせた後、遺体の引き渡しを受けた上で葬儀を行い、夫の墓地がある麟山に合葬した。 ▽遺体 95年8月18日、豪雨により麟山郡上月里の貯水池ダムが決壊したため、流出した。遺品は死亡当時に焼却された。 ▽田口さんの朝鮮名 田口さんは北朝鮮に入国して以来、コ・ヘオクとの朝鮮名で通しており、他の朝鮮名はなかった。 ・証人からの聴取等 ▽695病院の元医師および麟山郡招待所の接待員から、当時の生活状況に関する情報の聴取を行った。 ▽馬息嶺交通事故につき、道路管理人から事故状況について聴取。 ▽物証 馬息嶺交通事故資料 ・これに対する反論 北朝鮮側の発表では、原敕晁さんが1986年7月19日に病死。田口八重子さんがそのわずか11日後に交通事故死となっている。他でも言えることだが、北朝鮮の発表では、帰国した蓮池さんご夫妻、地村さんご夫妻、曽我さんご夫妻以外は、すべて夫婦共に死亡しているという点である。 86年に死亡とあるが、元工作員安明進氏は、89年、金正日政治軍事大学の複数の教官から「金賢姫を教えた日本人教官は処罰されていない」と聞いている。 2002年10月の北朝鮮側の説明では、「工作員が身分盗用に利用する対象者を物色中、1978年6月29日宮崎県宮崎市青島海岸で本人が共和国に3日程度なら観光がてら行きたいという意向を示したことから、特殊工作員が身分を偽装するのに利用するため連れてきた。辛光洙は関係がない。」としていた。当時、田口さんが一人で青島海岸に行く理由など全くなく、あまりに不自然。今回は、工作員が宮崎まで誘引したと変更してきた。後に結婚したとされる原敕晁さんは1980年、辛光洙等によって宮崎県青島海岸から拉致されている。 ★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2004.11.25-2)http //www.sukuukai.jp/houkoku/log/200411/20041125-2.htm 北朝鮮による拉致被害者の地村富貴恵さん(47)が拉致直後、「死亡」と伝えられた田口八重子さん=失跡当時(22)=と北朝鮮の招待所で一緒に生活していたことが三十日、分かった。 関係者によると、地村さんは一九七八年七月に拉致された直後から約九カ月間、同年六月に拉致された田口さんとともに同じ招待所で生活し、朝鮮語などを学んだ。地村さんは田口さんを「八重ちゃん」と呼び、田口さんも日本に残した家族の話を打ち明けるなど、親しい仲になったという。地村さんは田口さんの朝鮮名「コ・ヘオク」は知っていたが、大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫元工作員の教育係とされる「李恩恵」の名は知らなかったらしい。田口さんの消息について地村さんは「優秀な人だった。今はどこにいるか分からない」と話しているという。 http //news.kyodo.co.jp/kyodonews/2003/niccho/news/0530-402.html田口八重子さんの印象明かす 会見の地村富貴恵さん 朝日 03年10月14日 北朝鮮による拉致被害者で、福井県小浜市の地村富貴恵さん(48)は14日の記者会見で、北朝鮮で会った拉致被害者の田口八重子さん(不明当時22)と横田めぐみさん(同13)の印象を初めて詳しく語った。富貴恵さんは、拉致から2カ月後の78年9月から、保志さんと結婚する直前の79年11月まで、田口さんと招待所で一緒に生活していたという。招待所の指導員は、同時期に田口さんの朝鮮名を「高恵玉(コ・ヘオク)」、富貴恵さんの朝鮮名を「李英玉(リ・ヨンオク)」とつけたという。富貴恵さんは田口さんの印象について、「おない年だったので気があって、楽しく生活することができた。背が高くて、外見は大人っぽく見えたが、寂しがり屋で甘えん坊だったような気がする」と話した。大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫元死刑囚に日本語教育をし、田口さんと同一人物とされる「李恩恵(リ・ウネ)」の名に関しては、「私はそれは知らなかった」と述べた。横田めぐみさんについては、「86年に初めて会った。物静かでおとなしい感じの人で、自分から進んで話しかけてくるタイプでなかった」とし、「(田口さんと横田さんの)ほかに会った日本人はいません」と述べた。 http //www.asahi.com/national/update/1014/025.html 田口さん宮崎・青島で船に 拉致の状況を兄が公表 産経 04年1月18日 拉致被害者の田口八重子さん=失跡当時(22)=の兄で、家族会副代表の飯塚繁雄さん(65)が17日、埼玉県川口市で講演し、田口さんが拉致され、船に乗せられた場所について「宮崎県の青島」と初めて話した。 飯塚さんは「(拉致現場は)これまで新潟県佐渡島と宮崎の青島の2つの説があった」とした上で「(田口さんは)青島から船に乗せられ、北朝鮮の南浦に連れて行かれた。その後、袋をかぶせられたという話を関係者から聞いた」と述べた。 講演は「救う会埼玉」主催の支援集会で、市民ら約100人が参加した。 http //www.sankei.co.jp/news/040117/0117sha079.htm総連関与なしに拉致はできない 北の補助工作員が初めて証言田口さん事件と接点? 産経 04年2月16日 李工作員と支援の大物商工人を結ぶ北のスパイ。警察幹部がそう断言する男がいる。田口八重子さん=当時(二二)=拉致に関与した北朝鮮の李京雨(リギョンウ)工作員らを国内で支援していた補助工作員とみて、警視庁公安部が十数年前、内偵捜査を進めていた人物だ。その男が初めて取材に応じ、 「拉致は総連(在日本朝鮮人総連合会)の人間の関与なしにはできない」と、ようやく重い口を開いた。自民党の故金丸信氏は平成二年の訪朝前、総連中央本部を家宅捜索する方針を固めていた公安部の内偵事件を「圧力」でつぶしたとされる。その事件のコードネームは「零余子 (ムカゴ)」と呼ばれた。オニユリなどの葉の付け根にできる球状の芽のことで、捜査対象がこの男だった。容疑は外国人登録の申請内容に虚偽があったとする外国人登録法違反などだが、公安部の狙いは別にあった。公安部は昭和五十四年以降、工作員支援網の中心人物として総連系商社を経営していた大物商工人をマーク、その人脈解明を「やまぶき作業」と命名して続けていた。「男と李工作員に面識があるとの情報が寄せられた。自宅には不審なアンテナもあった。大物商工人とも親しく、李工作員と大物商工人を結ぶ人物として一躍クローズアップされた」と、公安部OBは振り返る。 http //www.sankei.co.jp/news/morning/16na1001.htm 金賢姫元工作員に手紙 田口八重子さんの長男 共同 04年2月23日 北朝鮮による拉致被害者、田口八重子さん=失跡当時(22)=の長男の飯塚耕一郎さん(27)が23日、外務省を訪れ、大韓航空機爆破事件にかかわった金賢姫元工作員=韓国在住=あての手紙を斎木昭隆審議官に託した。 同席した田口さんの兄で拉致被害者家族会副代表の飯塚繁雄さん(65)によると、斎木審議官は「韓国の日本大使館を通じ渡したい」と答えたという。 田口さんは1978年に拉致され、北朝鮮で金賢姫元工作員の教育係をしたとされる。耕一郎さんは「母のことを教えてほしい」と手紙に書き、金元工作員との面会を求めている。 繁雄さんの子供として育てられた耕一郎さんは23日午後、東京都内で初めて記者会見する。 http //news.goo.ne.jp/news/kyodo/shakai/20040223/20040223a4680.html「金賢姫元工作員と面会を」田口さんの長男が外務省に手紙託す 産経 04年2月23日 北朝鮮に拉致され死亡したと伝えられた田口八重子さん=拉致当時(二二)=の長男、飯塚耕一郎さん(二七)が二十三日、外務省を訪れ、田口さんについての情報提供を求めるため、昭和六十二年に大韓航空機を爆破した金賢姫・元北朝鮮工作員へあてた手紙を職員に託した。耕一郎さんが拉致被害者の家族として公の場に出るのは初めて。 田口さんは昭和五十三年六月ごろ、高田馬場のベビーホテルに耕一郎さんら二人の子供を預けたまま拉致された。金元工作員に日本語などを教えていた「李恩恵」という女性が田口さんだったとされる。 平成十四年九月に小泉純一郎首相が訪朝した際、北朝鮮側は「宮崎市の海岸で田口さんが『北朝鮮へ観光に行きたい』と言うので連れてきた。昭和六十一年七月、交通事故で死亡した」と回答した。 田口さんの兄で拉致被害者の家族会副代表、飯塚繁雄さん(六五)に育てられた耕一郎さんは、繁雄さんが最前線に立って活動する姿を見て、一緒に活動することを決意。同省の斎木昭隆審議官に手紙を託した際、「今までずっとできなかった金元工作員との面会を果たし、母を捜したい」と求めた。 http //www.sankei.co.jp/news/evening/e24nat003.htm 「母よ元気で」「金元死刑囚も犠牲者」田口さん長男会見 朝日 04年2月23日 78年に北朝鮮に拉致され、金賢姫(キム・ヒョンヒ)・元死刑囚の日本語教育係「李恩恵(リ・ウネ)」だったとされる田口八重子さん(不明当時22)の長男飯塚耕一郎さん(27)が、23日午後、東京都内で記者会見を開いた。耕一郎さんはこれまで、公の場に出たことはなかった。1歳の時に姿を消した母親への思いや、6年前、田口さんの長兄で育ての父親の飯塚繁雄さん(65)から母親について打ち明けられた時のことなどを語った。 「田口八重子の長男です」。耕一郎さんは、報道陣のライトを浴びながら、ゆっくり言葉を選ぶように話し始めた。 「今回(の記者会見)は勇気のいることでしたが、解決のきざしが見えないこの問題に、私なりに何かできないかと考えました」 母親について「一片でも思い出をつかみたい」と思い、この日、金賢姫元死刑囚あての手紙を外務省に託した。「(李恩恵が)母と同一人物かどうか、お会いして確認したい」と書いたという。母への思いを問われると、「元気でいて下さい。心が詰まって、それ以上は何も言えない」と答えた。 北朝鮮に対しては「悲しい国だと思う」。田口さんは死亡したと北朝鮮は発表したが、「確度のないものと信じている」とした。金元死刑囚については「怒りや憎しみは持っていない。彼女も利用された犠牲者だ」と述べた。 繁雄さんに母親のことを打ち明けられたのは21歳の時。「何不自由なく幸せに育てられてきたので、衝撃はあったが、少しずつ事実を受け入れなければならないと思った」。同時に耕一郎さんは、事件をどう解決するべきかを考えるようになったという。だが、自分に大きな動きができるわけでもない。「もどかしい気持ちだった」と振り返った。 真実を「告白」された後、繁雄さんへの気持ちが変わったかどうかとの質問も出た。この時、耕一郎さんは語気を強めて言った。「先ほどから申し上げている通り、飯塚繁雄は私のおやじです」 ◇ 北朝鮮が02年に日本政府に明かした情報によれば、田口八重子さんは78年6月、宮崎県から北朝鮮に連れ去られた、とされる。北朝鮮での名前は「コ・ヘオク」。86年7月、交通事故で死亡したという。 バグダッド発ソウル行き大韓航空858便(乗員・乗客115人)が爆破されたのは87年11月。実行犯の金賢姫・元死刑囚は、「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本語を習ったと手記に書いている。 しかし、北朝鮮は、田口さんが金元死刑囚に日本語を教えたことなど、大韓機事件とのつながりは否定している。 http //www.asahi.com/national/update/0223/044.html 左から兄さんの飯塚繁雄さんとご子息飯塚耕一郎さん。拉致被害者:田口八重子さんの長男が初めて公の場に 毎日 04年2月23日 北朝鮮による拉致被害者の田口八重子さん(行方不明時22歳)の長男、飯塚耕一郎さん(27)が23日、東京都内のホテルで記者会見し、「元気でいてください。今後はあなたの奪還にまい進していく」と早期救出を訴えた。1歳の時に、田口さんが拉致されて以来、公の場に出るのは初めて。会見前に外務省を訪れ、母が「李恩恵(リウネ)」として日本語教育係をしたとされる大韓航空機爆破事件の実行犯の金賢姫(キムヒョンヒ)元死刑囚に情報提供を求める手紙を託した。 田口さんは都内の飲食店員だった78年6月、託児所に耕一郎さんと2歳の長女を預けたまま行方不明に。耕一郎さんは伯父の飯塚繁雄さん(65)夫婦に引き取られた。 田口さんが、北朝鮮に拉致されたと判明したのは、失跡から13年たった91年5月。金元死刑囚の供述などからだった。7年後、耕一郎さんが21歳になった夏に飯塚さんから母の存在を告げられた。「お前は、お父さんの一番下の、妹の子なんだ」。埼玉県上尾市の自宅近くのすし屋でそう切り出した飯塚さんは、会見で「既に成人し、大人としての人格を認めて安心して話した」と語った。 「何不自由なく育った幸せな家族」と思いこんでいた耕一郎さんには大きな衝撃だった。「でも時間をかけて受け入れなければ。その時まで隠し続けてくれた家族には、感謝しよう」。そう思った。 耕一郎さんは、被害者5人の家族の帰国で幕引きにされたくないと活動を続けている父の背中を見てきた。今回、沈黙を破った理由を「(拉致問題で)私なりに何かできないかと考えた。解決への第一歩になると信じたい」と述べた。 耕一郎さんは情報通信関連の会社員で、海外出張など多忙な生活を送るが、今後は家族会に入会し活動するつもりだ。 http //www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20040224k0000m040069001c.html 田口八重子さん27年前の笑顔 産経 04年4月8日 子供と一緒の写真見つかる 北朝鮮に拉致された田口八重子さん=当時(二二)=の二十七年前に撮影された写真がこのほど見つかり、長男、耕一郎さん(二七)の手に渡った。母親の記憶がない耕一郎さんは「幸せな家族だったと分かってよかった。早く母を日本に連れて帰り、笑顔を取り戻してあげたい」と話している。 耕一郎さんを引き取って育てた田口さんの兄、飯塚繁雄さん(六五)によると、子供と一緒の田口さんの写真が見つかったのは初めて。 保管していたのは、埼玉県川口市のアパートで田口さん一家と親しかった主婦、奈良好子さん(五九)。今年二月に初めて記者会見した耕一郎さんが「母の思い出を一片でも欲しい」と訴えるのをテレビで見て連絡した。 「若いお母さんだったけど、けなげに子育てをしていた。笑顔が印象的で料理上手でした」 撮影は昭和五十二年八月。自宅でくつろぐ田口さん母子三人と奈良さんの子供たちが写っている。その後、夫と別れた田口さんは東京都豊島区の飲食店で働き始め、五十三年六月に一歳だった耕一郎さんと二歳の姉を託児所に残して拉致された。 色あせた写真の中に初めて見た、母の笑顔。「失われた時間はもう取り戻せない。幸せだった家庭がなぜ突然なくなり、二十年以上も放っておかれたのか」。耕一郎さんは憤りを新たにするとともに、いつか飛行機のタラップを下りてくる母を迎える日が来るのを固く信じている。 http //www.sankei.co.jp/databox/n_korea/nkorea_53_1.htm この写真提供したおばさん、当時と変わってないな~ 飯塚耕一郎さんの金元死刑囚への手紙は拒まれ 北海道新聞 04年5月30日 田口八重子さんが拉致された時、長男は1歳 金元死刑囚への手紙は拒まれ… 飯塚さん 拉致被害者家族会副代表の飯塚繁雄さん(65)=埼玉県上尾市=は日朝首脳会談以降、落胆を深めている。妹の田口八重子さん=失跡当時(22)=は大韓航空機爆破事件の金賢姫(キムヒョンヒ)元死刑囚の日本語教育係李恩恵(リウネ)とされ、その長男で飯塚さんの養子耕一郎さん(27)は二月、元死刑囚に面会を求める手紙を出した。しかし最近、受け取り拒否が伝えられた。首相再訪朝でも田口さんの新情報は皆無。飯塚さんが家族の苦悩を語った。 「思い出一つ持てずに母を奪われた。写真が一枚あるだけ。しかられたことも、抱っこされたことも、声を聞いたこともない」 飯塚さんは一歳で母親を拉致された耕一郎さんの生い立ちを思いやる。 田口さんは一九七八年、東京都内のベビーホテルに耕一郎さんと長女を残して失跡した。北朝鮮は前回の首相訪朝時「死亡した」と発表した。 耕一郎さんが外務省に託し、金元死刑囚に面会を求める手紙を出したのは「母の思い出を一片でもほしい。記憶にない母親の像を少しでもつくりたいという悲壮な思いからだった」(飯塚さん)。しかし、外務省から最近「本人は手紙を受け取らない意向」との説明を受けた。理由の説明は一切ないという。 金元死刑囚は現在、韓国政府の厳重な警備の下、外部との接触を断っている。飯塚さんは「息子も『簡単にはいかない』と覚悟を決めたようだが、丹念に思いを込めた手紙だったので、相当な落胆ぶりだった」と語る。 一方で、飯塚さんは「受け取らないのは本人の意思ではないと思う。(元死刑囚の)著書から読み取れるのは『いろいろと話してあげたい』という思いだ。しかし、当局が許さないのではないか」と推測する。 今回の首相再訪朝でも「死亡・不明」とされた十人について新たな情報はもたらされず、また期待を裏切られた。飯塚さんは「息子は再訪朝の結果に『この怒りをどこにぶつければいいのか』とやり切れない様子だ」と言う。 飯塚さんは「あきらめるわけにはいかない。息子と二人で被害者救出のため、担える役割はすべて担っていきたい」と決意を語った。 http //www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3? d=20040527 j=0071 k=200405277009 田口八重子さん、マレーシア経由で拉致か 読売 04年5月21日 拉致被害者で、北朝鮮側が「死亡」としている田口八重子さん(当時22歳)が失跡した当日、貿易代表団の一員として来日していた北朝鮮の特殊機関の幹部が突然、予定を早め、マレーシアに出国していたことが、警察当局の調べで新たに分かった。 田口さんはだまされて、この幹部に国外に連れ出された疑いが濃厚で、警察当局は渡航経路の確認を急ぐ一方、今後の日朝交渉で、こうした疑いを提示し、真相解明を迫る方針だ。 1987年11月の大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚の教育係「李恩恵(リ・ウンヘ)」だったとされる田口さんは、東京・池袋の飲食店に勤めていた78年6月30日、2人の子どもをベビーホテルに預けたまま姿を消した。 北朝鮮当局は一昨年9月、日本政府の調査団に、「宮崎市の青島海岸から船で連れ出した」などと説明したが、その後の警察当局の捜査で、田口さんが宮崎に向かった形跡や、当時、九州南岸に不審船が接近していたとの情報は確認できず、この説明を裏付けることはできなかった。 このため警察当局は、当時の全国の空港や港の出入国記録を洗い直す必要があると判断。その過程で、田口さんが失跡した数日前から、北朝鮮の在マレーシア大使館の2等書記官が貿易代表団の一員として来日しており、この書記官が田口さんの失跡当日、当初の予定を切り上げ、成田空港からマレーシアの首都クアラルンプールに出国していたことが判明した。 また、田口さんが失跡の数日前、店の常連だった在日朝鮮人の男から、「いい仕事がある。3日で帰れる」と誘われていた、という新証言も得られた。 警察当局は、「李恩恵=田口さん」と断定した91年5月当時から、この常連客が、「宮本明」と名乗る在日朝鮮人の工作員と同一人物ではないか、とみていた。 さらに、米韓両当局からの情報で、在マレーシア大使館の2等書記官を身分として、極東地域の工作活動の責任者をしていた北朝鮮特殊機関の幹部が、「宮本」工作員とマレーシアで接触していたこともつかんでいた。警察幹部は、「その幹部が、田口さんが失跡したその日にマレーシアに戻ったという新事実が判明したことで、ようやく点と点が1本の線につながった」と指摘する。 警察当局では、「宮本」工作員にだまされた田口さんは、偽造パスポートを渡されたうえで、この特殊機関の幹部とともにマレーシアに渡り、その後、北朝鮮に連れ出された疑いがあるとみて、当時の航空便の記録や、北朝鮮に入ったルートの確認を進めている。 http //www.yomiuri.co.jp/main/news/20040521i104.htm 田口さん入国経緯は虚偽? 地村さん証言と食い違い 産経 04年9月17日 拉致被害者北朝鮮調査 北京で先月十一、十二日に行われた日朝実務者協議で北朝鮮側が伝えた拉致被害者の入国経路の調査結果の中で、田口八重子さん=拉致当時(二二)=の入国場所が、帰国した拉致被害者の証言と食い違っていることが十六日、分かった。二年前の日朝首脳会談で北朝鮮側が「死亡」や不明などとした十人の安否不明の拉致被害者について、金正日総書記は今年五月、「あらためて調査をやり直す」と約束したが、再調査でも信用できない説明をしていたことになる。 北朝鮮側は北京での実務者協議で、田口さんの入国場所を、北朝鮮南西部の「海(ヘ)州(ジユ)」と伝えてきた。ところが、拉致直後から田口さんと同じ招待所で暮らしていた福井県小浜市の地村富貴恵さん(四九)は帰国後、田口さんの兄、飯塚繁雄さん(六六)に「八重子さんは南浦(ナンポ)港に連れてこられたと聞いた」と証言した。 二年前の日朝首脳会談で、北朝鮮側は、日本政府が認める拉致被害者十五人のうち十人について「死亡」、「承知していない」と伝えてきたが、科学的根拠が一切なかったため、日本政府は再調査を要求。今年五月の二度目の首脳会談で金正日総書記はあらためて調査し直すことを約束した。 これを受けた先月の実務者協議で、北朝鮮側は「調査は継続中」とし、拉致被害者らの入国経緯・場所のみを伝えたが、その説明にも信用できない内容が含まれていたことが表面化した形だ。飯塚さんは「北朝鮮がうそをついている一つの証拠」と反発している。(09/16) http //www.sankei.co.jp/databox/n_korea/nkorea_13_1.htm 田口八重子さんと横田めぐみさんの同居時期の説明で食い違い 04年11月21日 拉致被 害者・田口八重子さんが横田めぐみさんと一緒に暮らしていた時期について、日朝実務者協議での北朝鮮側の説明が蓮池薫さんらの証言と異なることがわかった。 北朝鮮側は「81年から84年まで」としているが、日朝関係者によると、蓮池薫さんらは「84年から86年まで」と証言している。北朝鮮側が説明した時期は、大韓航空機爆破事件の金賢姫元死刑囚に対し、「李恩恵」という女性が日本語を教えていたとされる時期と一部重なっている。 家族会では、北朝鮮側が田口さんと「李恩恵」が同一人物であることを否定するために、時期を変えた可能性もあるとみている。 一方、拉致被害者・曽我ひとみさんの夫で、禁固30日の判決を受け、収監中のジェンキンスさんについて、刑期が短縮され、今月末には釈放される可能性が極めて高いことがわかった。 http //headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn/20041120/20041120-00000021-nnn-soci.html 田口さんが金賢姫に日本語指導 地村さん証言 毎日 04年12月9日 北朝鮮側はこれまで、大韓航空機事件への関与だけでなく、田口さんは朝鮮名で「高恵玉(コヘオク)」と言い、「李恩恵」とは無関係、と主張している。 関係者によると、富貴恵さんは子供が帰国した今年5月以降、田口さんの兄飯塚繁雄さん(66)や政府関係者に対して証言している。富貴恵さんが78年7月に拉致された直後から招待所で一時同居していた田口さんから聞いた「オッカという工作員に日本語を教えている」との内容だ。 富貴恵さんは「オッカ」という発音しか知らないとされる。これに対して、87年11月に起きた大韓航空機爆破事件の実行役の金元死刑囚は、韓国側の調べで、工作員として指導員から教育を受け始めた時に、今後は「金玉花(キムオッカ)」との偽名を使うよう指示された。金元死刑囚は「金玉花」の名前で、旅券を作成したことも分かっている。 また、金元死刑囚に対して、日本語を教えたとされる「李恩恵」を名乗る日本人女性は、日本側の警察当局の調べで、金元死刑囚の供述などから田口さんであることが判明している。 大韓航空機事件への関与を否定している北朝鮮側は、先月の日朝実務者協議でも、田口さんが横田めぐみさん(行方不明時13歳)と81年から84年まで一緒に生活していたと説明。金元死刑囚が「李恩恵」と同居して教育を受けたとされる期間と重なることから、家族会などは、横田さんの履歴を捏造(ねつぞう)して李恩恵を否定したと批判している。 http //www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20041209k0000e040085000c.html target= _blank →拉致被害者によりやはり李恩恵=田口八重子さんであると。当然といえば当然だが、これでミスっていたらまた大谷や鳥越に叩かれていたんだろうな 田口八重子さんの救出要求へ NHK 05年1月24日 これは田口さんの兄の飯塚繁雄さんらが、地村富貴恵さんから直接聞いたものです。それによりますと、田口さんは昭和53年6月に拉致されたあと、ピョンヤン市内で一緒に暮らしていた富貴恵さんに「工作員になってでも海外に出ていき日本大使館に駆け込もうと思っている」と打ち明けたということです。その後昭和60年ごろ、田口さんは再会した富貴恵さんに「オッカ」と名乗る女性工作員に日本語を教えていたと話したうえで「その女性工作員に『私も工作員になれるだろうか』と尋ねると絶対に無理だと言われ脱出を断念した」と話したということです。オッカという名前は、大韓航空機爆破事件の実行犯、キム・ヒョンヒ元死刑囚が自分の著作の中で、北朝鮮で偽名として使っていたことを明らかにしています。これについて飯塚繁雄さんは「日本に帰りたい一心で必死に脱出しようともがいていた姿を思うと不びんでならない。一刻も早く助け出したい」と話しています。 拉致事件を巡っては25日、拉致被害者の家族会が外務省を訪れて早急な経済制裁などを訴える予定で、田口さんの家族も田口さんの早期救出を改めて強く求めることにしています。 http //www3.nhk.or.jp/news/2005/01/24/d20050124000139.html子供がいるから帰して、田口さん訴えも 日刊スポーツ 05年1月25日 北朝鮮による拉致被害者田口八重子さん(失跡当時22)が拉致された直後、「生まれたばかりの子供がいるから日本に帰してほしいと訴えたが聞き入れてくれなかった」と地村富貴恵さん(49)に話していたことが25日、分かった。田口さんの兄飯塚繁雄さん(66)が明らかにした。 田口さんは1978年6月に拉致される1年ほど前に、長男の飯塚耕一郎さん(27)を出産している。 繁雄さんが昨年6月、地村さんから聞いた話によると、田口さんは「生まれたばかりの子供がいる」と北朝鮮の担当者に自分の妊娠線まで見せて涙ながらに訴えたことを、拉致直後同じ招待所で暮らしていた地村さんに話したという。 また田口さんは、北朝鮮が制作した映画で親子が登場したり、離れ離れになる場面を見るたびに泣いていたという。 繁雄さんは「この話を聞いて耕一郎もいたたまれない気持ちだだったろう。生まれたばかりの息子と引き裂かれた妹の気持ちを思うとやるせない」と話した。(共同) http //www.nikkansports.com/ns/general/f-so-tp0-050125-0026.html 拉致被害者は 工作員村 にいた 05年9月15日 NHKクローズアップ現代 1979(昭和54)―八重子さん、蓮池夫妻・地村夫妻・横田めぐみさんと一緒に“チュンリョン里”(忠龍里)に集められて日本語教育 1981~83―金賢姫(工作員名金玉花)に日本人化教育 1984~85―八重子さん&めぐみさん、金淑姫に日本語教育。めぐみさんの教え子には後の夫キム・チョルジュンも 1986(昭和61)―“チュンリョン里”(忠龍里)を離れる命令で平壌に、敵工地へ 1987(昭和62)―大韓航空機爆破事件(11月)以降、日本人化教育は中止→翻訳などhttp //www3.nhk.or.jp/news/2005/09/16/d20050915000182.html http //www3.nhk.or.jp/news/2005/09/16/d20050916000027.html http //www3.nhk.or.jp/news/2005/09/16/d20050916000194.html シン元工作員と田口さんに接点浮上 TBS NEWS i 06年1月20日 北朝鮮による拉致事件で新事実です。地村さん夫婦を拉致した疑いが出ている北朝鮮のシン・ガンス元工作員と田口八重子さん拉致事件との間に接点が浮上しました。シン元工作員の配下の男が、田口さんが勤めていた飲食店にたびたび出入りしていたことが警察当局の調べで新たにわかりました。 シンガンス元工作員をめぐっては、地村保さんが「シン元工作員に拉致された」などと証言。また、曽我ひとみさんも「横田めぐみさんを拉致したのはシン元工作員だった」などと証言し注目が集まっていますが、警察当局の調べで、シン元工作員と田口八重子さん拉致事件との間にも接点があったことが新たにわかりました。 それによりますと、田口さんは東京の飲食店で働いていましたが、シン元工作員とつながりを持つ在日韓国朝鮮人の男(70)がこの店にたびたび出入りしていたということです。 この男は、シン元工作員の指示を受け、韓国で米韓軍事演習「チームスピリット」の訓練計画書を入手するなど、工作活動を行っていました。 田口さん拉致事件では「宮本明」を名乗る工作員が関与していた疑いのあることがわかっていますが、警察当局はシン元工作員と田口さん拉致事件との関連についても慎重に調べを進めています。(20日16 55) http //news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3207534.html 田口さん拉致にも関与か 辛、チェ両容疑者の協力者が接触 産経 06年2月26日 北朝鮮による地村保志(ちむら・やすし)さん夫妻拉致事件で逮捕状が出た元工作員、辛光洙(シン・グァンス)容疑者(76)の協力者だった在日朝鮮人の男が、拉致被害者、田口八重子(たぐち・やえこ)さん=失跡当時(22)=が勤めていた東京・池袋の飲食店に客として出入りしていたことが25日、警察当局の調べで分かった。 蓮池薫(はすいけ・かおる)さん夫妻拉致事件で逮捕状が出た工作員チェ・スンチョル容疑者の協力者も同店に通っていたことが既に判明。警察当局は田口さん拉致にも両容疑者が何らかの形で関与した可能性があるとみて、拉致実行犯のネットワーク解明を進める。 調べでは、在日朝鮮人の男は辛容疑者の指示で米韓軍事演習「チームスピリット」の訓練計画書を韓国で入手したとされる北朝鮮の補助工作員。田口さんが失跡した1978年6月以前に、客として飲食店に行っており、警察当局は田口さんとも面識があったとみている。 この男は、韓国の裁判所が「辛容疑者は北朝鮮で『密封収容』されていた」と認定した時期に当たる79年に東京都内で同容疑者と会っており、警察当局が辛容疑者はこの時期も日本に出入りし、78年には地村さん夫妻の拉致を実行したと断定する根拠の一つになった。 一方、チェ容疑者の協力者は「宮本明(みやもと・あきら)」の日本名と「李京雨(り・きょうう)」の朝鮮名を持つ男で、辛容疑者の協力者とほぼ同時期に、田口さんの店に頻繁に出入り。田口さんに「いい仕事があるよ」などと話し掛けていたことが分かっている。 85年に警視庁が摘発した「西新井事件」でチェ容疑者が借りたアパートの保証人になるなど、同容疑者の活動に協力。87年の大韓航空機爆破事件では自殺した工作員の男が使っていた偽造旅券の入手にも関与したとされる。(共同) http //www.sankei.co.jp/news/060225/sha045.htm よど号グループ:拉致の2人 田口さんと同地区にいた 毎日 07年2月12日 よど号事件グループによって欧州から拉致された疑いの強い松木薫さん(当時26歳)と石岡亨さん(同22歳)が、国内で拉致された田口八重子さん(同22歳)と一時、平壌郊外の同じ地区の招待所にいたとみられることが分かった。拉致被害者の地村富貴恵さん(51)が、田口さんから聞いた話として関係者に証言した。2人は「『別荘がある』と誘われた」と語っていたという。「日本革命が目的」とされるよど号拉致被害者が他の被害者と同様の処遇を受けていた可能性が高まった。 富貴恵さんの証言によると、田口さんは平壌郊外の地区の招待所に80年ごろ住んでおり、近くの招待所に日本人男性2人がいたと話した。2人が「北朝鮮はいい所と聞いてきたが大したことなかった」と話していることも聞いたという。 メンバーの元妻の八尾恵・元スナック店主の証言では、グループが有本恵子さん(同23歳)を「市場調査のアルバイト」とだまして拉致したことが判明している。新たな証言は、松木さんらも同様の手口だったことを裏付けるものだ。 グループによって拉致された3人については、目的の違いから他の被害者と待遇などに差があるとの見方があり、これまでに判明している接点は、曽我ひとみさんとジェンキンスさんが百貨店などで、石岡さんや有本さんらしき2人を見た、とする証言だけだった。 富貴恵さんの証言では、富貴恵さんは、拉致された直後の78年9月から招待所で田口さんと同居していたが、79年11月に地村保志さんと結婚して別れた。その後、別地区の招待所に夫妻でいたが、84年秋ごろ近くの招待所に移ってきた田口さんから話を聞いた。富貴恵さんは「帰国して松木さんらに間違いないと思った」と話しているという。 松木さんと石岡さんは、80年5月ごろスペインで失跡。88年9月に石岡さんが、松木さんや有本さんと北朝鮮にいることを実家に手紙で伝えた。失跡直前にバルセロナで石岡さんとメンバーの妻2人が一緒にいる写真の存在も判明。八尾元店主は「彼女たちが日本人男性2人を獲得したと聞いた」と証言している。 よど号事件 70年3月31日、過激派の赤軍派メンバー9人が、羽田発福岡行きの日航機「よど号」を乗っ取った国内初のハイジャック事件。韓国・金浦空港で乗客を解放した後、4月3日に北朝鮮入りした。その後女性(妻)らが合流したが、01年以降妻子らは順次帰国。死亡や逮捕で、北朝鮮に残るメンバーは4人で、グループでは8人。83年の有本恵子さん拉致事件でメンバーの安部(現姓・魚本)公博容疑者が国際手配されている。 http //www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070212k0000m040126000c.html 又聞きかよ~。地村富貴恵さんが何を持って断定したのかは不明だが、よど号ルートの方々は目立つ存在なのだろうか? キム元死刑囚 拉致問題を語る NHK 09年1月15日 大韓航空機爆破事件の実行犯、キム・ヒョンヒ(金賢姫)元死刑囚がNHKの電話インタビューに応じ、自分の教育係をさせられていた拉致被害者、田口八重子さんについて「生きていると確信しているし、力になれるのなら家族に会いたい」と述べ、拉致問題解決への思いを明かしました。キム元死刑囚は12年前に結婚したあと、公の場に姿を見せておらず、報道機関のインタビューに応じたのはそれ以来だということです。 北朝鮮の工作員だったキム・ヒョンヒ元死刑囚は、1987年に起きた大韓航空機爆破事件の実行犯として韓国当局に逮捕され、死刑が確定しました。その後、特赦で刑の執行を免れ、本の執筆や講演活動を行ってきましたが、12年前に結婚したあと公の場に姿を現さなくなりました。キム元死刑囚は、電話インタビューに対し「韓国では過去5年間、大韓航空機爆破事件の真相がねじ曲げられ、わたしやわたしに日本語を教えていた八重子さんの存在を否定するような報道がありました。わたしが生きていることを示すことが、八重子さんが北朝鮮にいることを証明し、拉致問題の解決につながると思った」とインタビューに応じた理由を話しました。そして、北朝鮮で自分の日本語教育係をさせられていた拉致被害者の田口八重子さんについて「2年ぐらいいっしょに生活して、彼女から日本について習いました。彼女とは国籍を離れてほんとうの姉妹みたいに暮らしましたが、彼女は子どもたちに会いたいと言って涙を流していました」と話しました。また、5年前に初めて公の場に出て救出活動を始めた八重子さんの長男の飯塚耕一郎さんについて「ニュースで見ました。親子というのは隠すことができず、目がそっくりです。あんなに大きくりっぱに育っているのを見て涙が出るほど感激しました。会って、お母さんのことを話してあげたい」と話しました。そのうえで、7年前の日朝首脳会談で、北朝鮮が八重子さんをはじめ一部の拉致被害者が死亡したと説明したことについて語りました。キム元死刑囚は「北朝鮮の機密を知っている日本人拉致被害者を帰国させると、北朝鮮の工作機関や工作員に関する情報が外部に漏れるおそれがあるので『被害者は死亡した』と説明していると考えられる」と指摘し「八重子さんたちが今も生きていると確信しているし、拉致問題解決の力になれるのなら、八重子さんの家族に会って『希望を持ちなさい』と呼びかけたい」と述べました。 http //www3.nhk.or.jp/news/t10013573771000.html# 田口八重子さん、韓国人と結婚か…帰国拉致被害者が伝える 読売 09年2月12日 日本人拉致被害者の田口八重子さんについて、2002年10月に北朝鮮から帰国した拉致被害者5人のうちの1人が日本政府に対し、田口さんが北朝鮮で韓国人とみられる男性と結婚したとの情報を伝えていたことが、政府関係者の話でわかった。 政府関係者によると、帰国した拉致被害者の1人は、北朝鮮側が田口さんが死亡したと説明している1986年7月の数か月後、平壌市の「楽園商店」で買い物をしている間、自分の運転手が田口さんと会ったと証言した。この時、運転手は田口さんと面識があったため話しかけたところ、田口さんから「私は義挙者(ウィゴジャ)と結婚している」という話を聞いたという。義挙者とは、北朝鮮の工作機関内で当時、韓国人拉致被害者などのことを意味している言葉だった。ただ、結婚相手がどんな人か、田口さんはそれ以上は話さなかったという。 別の拉致被害者も、田口さんについて「敵工部と呼ばれる機関にいた」との情報を聞いたと証言。敵工部は対韓国工作などを行っていた朝鮮人民軍傘下の部署で、韓国人拉致被害者も所属していたという。 北朝鮮側は日本政府に対し、田口さんは日本人拉致被害者の原敕晁(ただあき)さんと84年10月に結婚し、原さんが病死後の86年7月、旅行中に交通事故で死亡したと説明していた。しかし、帰国した拉致被害者は「同じ招待所にいたが、原さんと結婚はしていなかった」と証言しているほか、北朝鮮が示した交通事故記録にも不自然な点があることから、政府は北朝鮮に再調査を要求している。 http //www.yomiuri.co.jp/national/news/20090212-OYT1T00107.htm 拉致2女性、北で結婚か 『田口さんは韓国人と』 『松本さんは日本人と』 東京新聞 09年2月12日 【ソウル=築山英司】日本政府が北朝鮮による拉致被害者と認定している日本人女性二人が、北朝鮮で結婚したとみられることが十一日、分かった。日本政府関係者が明らかにした情報で、同政府関係者は認定拉致被害者十七人のうち、少なくともこの二人は北朝鮮で生存している可能性が高いとみている。 日本政府関係者によると、一九七八年に拉致された田口八重子さん=当時(22)=と七七年に鳥取県米子市から拉致された松本京子さん=同(29)。田口さんは韓国人男性と、松本さんは別の日本人男性と結婚したとの情報があるという。 田口さんは、大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キムヒョンヒ)元工作員(47)への日本語などの工作員教育を担当。八四年に、すでに帰国した拉致被害者、地村富貴恵さんの住んでいた平壌近郊の忠龍里(チュンリョンリ)に移った。八六年以降は別の軍の拠点に移ったが、地村さんの証言から田口さんは韓国人と結婚したという。 韓国の拉致被害者団体「拉北者家族会」の崔成竜(チェソンヨン)代表によると、北朝鮮関係者から二〇〇六年初め、拉致され韓国人男性と結婚した横田めぐみさんとは別の日本人女性が、拉致された韓国人男性と一緒に住んでいると聞いたという。 北朝鮮側は、田口さんは拉致被害者の原敕晁さんと結婚し、一九八六年に交通事故で死亡したと主張していた。また、松本さんは少なくとも二〇〇二年まで、北朝鮮の軍関連の貿易会社に在籍していたとみられる。 ◆田口さん家族と金元工作員 韓国『遠からず面会』 【ソウル=福田要】中曽根弘文外相は十一日、韓国の柳明桓(ユミョンファン)外交通商相とソウルで会談し、国際舞台での協力関係を強化することを確認した。柳外通相は会談後の記者会見で、一九八七年の大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キムヒョンヒ)元工作員(47)と拉致被害者の田口八重子さんの家族の面会が「遠からず実現すると承知している」と述べた。 金元工作員は今年一月、韓国メディアを通じて自分に日本語を教えた田口さんの家族との面会を希望。日韓両政府が調整に乗り出したが、韓国側が近い時期の実現に向け協力する姿勢を公式に明らかにしたのは初めて。 http //www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009021202000076.html いつの間にか「生存している可能性が高い」という表記が・・・。この旦那は金英男さんと近しいのかも知れん 帰国の拉致被害者証言 田口さん「めぐみさんの面倒みたい」 産経 09年3月10日 ■工作員と3人 2年間?同居 拉致被害者、横田めぐみさん=拉致当時(13)=が北朝鮮の女工作員と同居しながら日本語教育に従事させられていたところに、田口八重子さん=同(22)=が「めぐみさんの面倒をみたい」と希望して合流し、一時3人で暮らしていたことが9日、帰国した拉致被害者が政府関係者にした証言で明らかになった。 時期は、田口さんが大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員(47)に日本人化教育をした後の昭和59年前後。めぐみさんと田口さんが同居していたことは既に判明しているが、その一部は女工作員との同居だったことになる。帰国被害者によれば、めぐみさんと田口さんは59年前後から61年夏ごろまで同居。このうち60年ごろまでは女工作員も一緒だったことが新たに判明した。女工作員は金賢姫元工作員の同僚の「金淑姫(キム・スクヒ)」。銃や爆弾などの取り扱いも訓練した女スパイだった。田口さんが自ら北朝鮮当局に「めぐみさんの面倒をみたい」と切り出したことは、それ以前にめぐみさんと面識があったか、同居したことを示唆している。当初は「田口さん-『金賢姫』」と、「めぐみさん-『金淑姫』」の2通りの組み合わせで工作員教育をさせられていた疑いが強まった。金賢姫元工作員は最近になって、「めぐみさんと『淑姫』が写った写真を見た」と証言している。 田口さんは3人で同居するまで、「(金賢姫元工作員との生活を終えた後)しばらく1人で生活した」と話していたことも新たに分かった。北朝鮮側は、田口さんは「61年7月30日に交通事故で死亡した」としているが、帰国被害者は「62年に運転手から、外貨商店で田口さんと会い、人民武力省のナンバーの車に乗っていたのを見たと聞かされた」とも話している。 http //sankei.jp.msn.com/world/korea/090310/kor0903100134002-n1.htm 「九州で工作員に引き渡された」と田口さん、帰国被害者証言 産経 09年3月11日 拉致被害者の田口八重子さん=拉致当時(22)=が拉致された経緯について、「知り合いの男性に九州に連れて行かれた。工作員に引き渡され、(工作船で)北朝鮮に連れてこられた」と、別の日本人被害者に話していたことが10日、分かった。 田口さんからこの話を聞いた被害者が帰国後、政府関係者に証言していた。田口さんの拉致ルートについては未解明のままだが、政府や警察当局は拉致された状況の解明につながる情報として重視、慎重に分析を進めている。 政府関係者によると、田口さんから拉致された状況について告白されたのは平壌の牡丹峰招待所で一時期、共同生活していた被害者。田口さんらは工作機関の指導員から「(日本人同士は)互いに本名や生年月日、北朝鮮に来た経緯などは話すな」と厳命されていたため、共同生活を始めた当初は個人的なことは話さなかったが、次第にうち解け、拉致された経緯についても言及したという。帰国被害者の証言によれば、田口さんを九州に連れて行った男は「リムジンのような外車に乗っていた知り合い」と話していたという。田口さんは拉致された当時、東京・池袋の飲食店に勤務していた。 これまでの警視庁公安部などの調べでは、田口さんの拉致には、蓮池薫さん(51)、祐木子さん(52)夫妻を拉致したとして国際手配されている北朝鮮工作員、チェ・スンチョル容疑者(年齢不詳)の国内補助工作員とみられる在日朝鮮人の男(既に死亡)が関与していた疑いが強いことが判明している。警察当局は、九州まで田口さんを連れて行った男が、補助工作員と同一人物かどうかも含め捜査している。九州からは、昭和55年に大阪の中華料理店員の原敕晁(ただあき)さん=(同43)=が青島海岸から工作船で拉致された。北朝鮮側は田口さんについても「宮崎県の青島海岸から連れてきた」と説明している。 田口さんは帰国被害者に工作船で北朝鮮に連れてこられた直後の状況についても告白。「出迎え役のおばさんに『(日本に)子供がいるのになんで(北朝鮮に)連れてきたの。早く日本に帰して』と激しく訴えると、おばさんは『何でこの子(田口さん)を連れてきたのか』と工作員に言っていたようだった」とも話したという。 http //sankei.jp.msn.com/world/korea/090311/kor0903110141000-n1.htm 田口八重子さん生存情報、被害者団体代表が伝える 読売新聞10年7月22日 【ソウル=前田泰広】北朝鮮に拉致された韓国人被害者の家族らでつくる「拉北者家族の会」の崔成龍(チェソンヨン)代表は22日、「信頼できる北朝鮮の情報源」から、日本人被害者の田口八重子さんが現在、平壌の万景台(マンギョンデ)区域にある集合住宅で生活しているとの情報を聞いたと明らかにした。 田口さんは韓国人被害者の男性と結婚したとも聞いたという。 崔代表は「情報源」について、脱北者ではなく、平壌で働き、海外にも行き来する関係者だとしており、日本政府関係者にも、こうした情報を伝えたという。 崔代表は2004年、横田めぐみさんが韓国人被害者と結婚しているとの情報を入手し、日韓両政府が2006年、事実と確認したことがある。 北朝鮮は田口さんについて、日本人被害者の原敕晁(ただあき)さんと結婚後、1986年7月に死亡したと説明している。 (2010年7月22日10時59分 読売新聞) http //www.yomiuri.co.jp/feature/20080118-931444/news/20100722-OYT1T00379.htm キム元工作員「田口さんピョンヤンに」 TBS 10年7月31日 7月に日本を訪問したキム・ヒョンヒ元工作員が拉致被害者・田口八重子さんの家族と面会した際、「田口さんはピョンヤンにいる」と伝えていたことがわかりました。 「『八重子は今どこにいるんですかね?』と聞いたら、『平壌(ピョンヤン)にいますよ』という感じで小さな声で言ってくれました」(田口八重子さんの兄・本間勝さん) これは東京都内で行われたキム元工作員との面会についての報告会で拉致被害者・田口八重子さんの兄本間勝さんが明らかにしたものです。長野県軽井沢町で面会した田口さんの家族に対し、キム元工作員は「田口さんはピョンヤンにいますよ」と話したということで、キム元工作員の口から田口さんの具体的な消息について語られたことが明らかになったのは初めてです。 田口さんをめぐっては7月22日に中井洽拉致問題担当大臣が6~7年前までピョンヤンで生存していたという情報を得ていることを明らかにしています。(31日22 11)「キム元工作員「田口さんピョンヤンに」」 News i - TBSの動画ニュースサイト 田口八重子さん、昨秋まで平壌で生存の情報 読売 11年1月19日 北朝鮮による拉致被害者の田口八重子さん(55)が昨年秋に平壌で生存していたとの情報を、 政府が昨年末、韓国で拉致問題に取り組む関係者から入手していたことが19日、わかった。 警察庁で情報の分析を進めている。 政府の拉致問題担当者が昨年12月、韓国を訪問。関係者は、田口さんが平壌市万景台(マン ギョンデ)区域にある集合住宅に居住し、昨年の秋頃に韓国人の拉致被害者の男性2人と一緒に いる姿が目撃された、との情報を提供したという。田口さんに関しては、昨年8月、衆院拉致 問題特別委員会で中井洽・拉致問題担当相(当時)が「2003年まで元気で平壌に住んでいた との情報がある」と発言していた。http //www.yomiuri.co.jp/national/news/20110119-OYT1T00958.htm?from=y10
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2015.7.19 ほのぼの連合としてギルド結成 2015.8.2 旅館 小鈴に改名 2015.9.13 ぬこまんまの会に改名 2015.11.25 初のSレート到達 2016.2.6 こぬこのお茶会に改名 2016.2.18 S+昇格チャレンジ(1476)で惨敗 2016.2.28 初の3桁台ランキング達成(996位) 2016.3 ギルドの除名条件変更(2回目) 2016.5.24 第一回救援祭開催 2016.7.8 伝説のA修羅マッチ発生 2016.7.19 ギルド設立一周年 記念イベ開催 2016.7.20 S+チャレンジ2回目(1468)失敗 2016.7.23/24 降臨ギルド初の20討伐達成 2016.7.29 S+チャレンジ3回目(1484)失敗 2016.7.30 S+チャレンジ4回目(1500)成功 2016.7.31 最高レート更新 初S+(1516) 2016.8.13 黄昏の因果律さんが姉妹ギルドさんに 2016.8.31 最高順位更新(658位) 2016.9.2 ENDLESSさんと降臨同盟締結 2016.9.12 最高レート更新(1532) 初の小休止 2016.9.15 全施設60Lv達成 2016.9.27 最高レート更新(1542) 2016.9.30 ぴな式へマスター研修開始 2016.10.17 マスター拉致事件発生 2016.10.19 禁断の姉妹ギルドマッチ発生 ギルバト戦績(ランキング) 2015 7月 15pt(10420位) 8月 34pt(8488位) 9月 72pt(6995位) 10月 96pt(4309位) 11月 68pt(5627位) 12月 119pt(3469位) 2016 1月 190pt(1110位) 2月 182pt(994位) 3月 218pt(2293位) 4月 178pt(2059位) 5月 237pt(1877位) 6月 197pt(1431位) 7月 278pt(1092位) 8月 256pt(658位) 9月 (現在月最高9/12 325位)